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絶対的な幸福と相対的な幸福の違いを説明する

幸福には二種類あると思います。絶対的幸福と相対的幸福です。

 

絶対的幸福

親がよくいう、いい学校に行っていい会社に入って、いい暮らしをするというのが絶対的幸福です。

誰もが「それは確かにいいよね」と思う、全ての人が目指すべきだと錯覚されている幸福です。

そういう生き方をしていればとりあえず安心できた時代があって、その頃の考えを捨てきれずに、そういう幸福があると思い込んでいます。

絶対的に「これがいい」と言われる幸福の一例です。

事業に成功して大金持ちになることも絶対的幸福と言えます。

世間一般にいいな、と思われている成功ストーリーのようなものです。大多数の人が、そうのぞんでいるであろう未来、そして安定して苦労しなくてもいい未来です。

結婚して家族を持つとか、一般的に良いとされているものです。

それは歴史的に大多数の人が選んで(選ばされて)きた選択肢なのかもしれません。

実績のある幸福です。

 

相対的幸福

一方、相対的幸福は、今より良いものを得られることへの幸福です。

今もし給料が平均賃金以下しかもらえていないのであれば、それを平均以上にできれば幸福感が得られる人がいるかもしれません。

また、今より人から大切に思われるのであれば幸福を感じられるかもしれません。

今考えられる中で、こうなったら自分は今より幸福を感じられるだろうという未来です。

今よりもどんどん大変な仕事を任されて自分がスキルアップしていくことに幸福を感じる人もいるかもしれませんし、そんなことより、今よりも仕事が減って、自宅で自分の趣味に没頭する時間が増えることで幸福感が増す人もいるでしょう。

人によって違う、今の自分からして何が好ましいかで幸福の事柄が変わります。

 

どのように幸福を目指せばいいか

どちらの幸福を信じますか?

どちらを信じたにせよ、人は幸福になれるのかもしれません。

しかし、絶対的幸福を目指すのであれば、相対的幸福を積み重ねた先にあるべきだと思います。

お金をたくさん持っていることが幸福に繋がると考えていないのに、お金持ちになることを目指したり、人といることがそこまで好きではないのに、結婚をしたいと思ったりしても、それは本末転倒です。

錯覚によって道を踏み誤る可能性があるのです。

なので、まずは相対的に自分はどうなりたいのか、次のステップを考え、今の自分をどう変えたら幸福なれるのか、

ある意味近視眼的な幸福をまずは考え、その延長線上、中長期的な時間を経た上でどうなっていたいのかを考えることが、自分だけの絶対的幸福になるのではないでしょうか。

自分が実際に一歩一歩道を選んで進んで言った結果、訪れるであろう未来です。

どこかにゴールがあるのではなく、目の前の幸福を追うことでたどり着く場所です。

もちろん目の前のものを追うだけでは物事を見失いがちなので、自分の求めるものがわかったら、それについて計画を立てるべきです。

計画を立ててそこへ向かって進んでいくことで、最大限の幸福が訪れるのではないでしょうか。

親であれば自分の子供に、より安定して、より安心な絶対的幸福を求めてしまいそうですが、

自分で課題を見つけ、それを解決することで幸福になるという、相対的幸福の存在を伝えることもできるように思います。

世間一般的な成功に惑わされることなく、自分だけの成功を探して進むことを教えることができると思うのです。