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今しか書けない new context

自分だけの世界を見る

他人とは?

何をやっていても他人が気になることがあります。なぜ気になるのか、全然わからないのですが、他人のことを気にすることは他人に期待することを意味します。

特に、SNSが発達した現在では会ったこともない人に期待するということが増えてきていると思います。

しかし全く見知らぬ人に期待することほど疲れることもないでしょう。

顔が見えないのですから、どんな趣向を持ち、どんなことを求めているのかなんてわかりません。

人というのは千差万別、それぞれが異なる興味関心を持っています。

こちらがどうしたらいいのかなんていうことはわかろうとしてもわからないし、わかったと思っても、それは予想でしかないのです。

なのでそういった大衆を相手にすることは分が悪いでしょう。

むしろ人間の制御できない自然と同じ、と割り切るくらいがいいでしょう。分析すればわかるかもしれないけど、結局は制御できない存在であると。

 

自分を見失わないための手段

理想論ですが、あまり周りを見すぎずに自分も見つめつつ、自分のやりたいように物事を進めていくことが良いのではないでしょうか。

童心に還れるようなものを見つけてそれに没頭し、追究していく。それをもしかしたら何処かで発信するといいのかもしれません。

あくまで記録や自分の紹介の一環として。

むしろあまり多くの情報に触れすぎずに、自分の信じたものだけを追い求めるような姿勢も時には必要です。

環境の変化に敏感な人は周りの影響を受けやすいのです。

なのである程度コントロールして触れる情報を限定した方が集中できます。

多くの情報に触れ、多くのことを考えることは大切かもしれませんが、時に情報の波にのみ込まれて、身動きが取れなくなってしまいます。

様々な人が多種多様なことをある程度の熱量でこなしていった結果を出力し、そんな情報に触れることで大いに刺激を受けることでしょう。

しかしブレやすい人はそこでその熱量に押し切られてしまいます。

自分をこう変えなくてはいけないのではないかと思ってしまいます。

そこで思いとどまり、自分の向かう方向を見失わないようにすることが、重要です。しかしそれにはある程度の準備と、エネルギーが必要なように思います。

そのような準備をするよりも、いっそのこと周りのものを見ない、くらいの方がいいのかもしれません。

自己を保つための手段です。

自己防衛とも言えますし、それが自分の考えと行動にある程度確信を持てるようになるまでの技術であるとも言えます。

特にブレない軸のようなものがわかるまではそういったことを意識的にやる必要があるでしょう。

 

自分の目で確かめたいこと

まずは自分が気持ちいいと思えることを探します。

これをやっていると気持ちよくて、またやりたくなる。

気持ちいいポイントが何かを見つける。

特にいいのは続けることで得られる快感です。

例えば、ブログを書くことが気持ちいいとか、自分の考えをまとめることが気持ちいいとかでもいいと思います。

そこには「誰にも読まれなくても」という条件がついた方がいいように思います。

本当に10年以上毎日自身のことをブログに書き続けている人もいますが、それは本当に書くことが気持ちいいのだと思います。

書くことがなんでこんなに楽しいのか、ということを説明できるかもしれません。

 

それが何かのメリットになるのかと言えば、なんとも言えないところはあります。

メリットがあるのかもしわかりません。

しかし、消耗しないと思います。

楽しくてやっているので、疲れきることはないでしょう。

そこで自己を磨けばいいのだと思います。

できること、楽しいことで自己を磨く。

それが何に役に立つのか、わからないかもしれません。

しかしそれがわからなくても、そもそもがやりたくてやっていることなので、自分の成長ということも二の次にできるのだと思います。

何か自分ができることが増えたらいいなというプラスアルファくらいの気持ちで、自分の世界に入り込みます。

そこにどのような世界が広がっているのか、自分の目で確かめればいいのです。

自分の目で確かめたいことを見つけるのです。